ダン・タイ・ソンというピアニストに興味があり、CDのブックレットやリサイタルのプログラムに載っている紹介より詳しく経歴や人柄を知りたいと思っていた人には、この本が大きな手助けになるだろう。綿密で大部な伝記はちょっと、という心配は無用。彼の生い立ちからデビュー、そして成熟への道が、本人へのインタビューに基づき、簡潔にまとめられている。ところどころ小説風になるところもある。テレビのドキュメンタリー番組に挿入される「再現フィルム」のようなものだと思って楽しめばいいだろう。 ダン・タイ・ソンは1958年ハノイ生まれ。母親はハノイ音楽院ピアノ科の主任教授、父親は詩人。ベトナム戦争下に少年時代を過ごした後、モスクワ音楽院へ留学。1980年にショパン・コンクールで優勝した。本書の前半は、ここまでを、ほぼ時間をさかのぼるかたちでつづっている。戦火を避けての疎開中、ピアノがないので紙の鍵盤で練習したという逸話は、彼の育った場所と時代をひとことで教えてくれる。モスクワ音楽院では、欧米以外からの留学生が地元のエリート組から無視されていたという話も印象的だ。ダン・タイ・ソンはその中から、不屈の闘志で実力を磨いていった。 後半は、教師や友人のピアニスト、尊敬する音楽家についての思い出などが語られる。また、ショパンの音楽やルバートについての考え方などが話題となり、彼の音楽性にふれる部分が多くなる。といっても、難しい音楽論などではなく、あくまで一般読者向けの内容だ。(松本泰樹)
同じアジア人としてずっと興味があった一流ピアニスト
ダン・タイ・ソンは、ここ十数年でさらに活躍の場を広げ、日本にも多くのファンを持つピアニストである。近年、日本人、アジア人ピアニストに対する注目が、また集まっている気がするが、僕はダン・タイ・ソンこそがアジア人ピアニストの認知度を上げた立役者であると思っている。彼の演奏はCDを聴いてもらうしかないが、この本は、彼の生き方はもちろん、音楽に対する意見が述べられており、音楽が好きな人、ピアノ曲が好きな人には、違ういみで楽しい本だと思う。「あぁ、彼はこの作曲家をこう解釈しているのか。こんな考え方もあるのか」と、違う観点からいつものクラシック音楽を発見できるだろう。それにしても、ベトナムの戦時下、戦火を逃れながら、紙の鍵盤でピアノを練習したというエピソードには驚いてしまった。今の日本の音楽教育環境は、一体なんなのだろうか…。彼のピアノに対する情熱には、敬服するとともに、一個人として「そんなにも傾倒できるものをもっていて、幸せだろうなあ」という感慨さえも抱かせてくれた本であった。 是非、クラシックに興味の薄い人も、この一流ピアニストについて興味を持ってもらいたいと思う。
ヤマハミュージックメディア
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